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【広告ヒント集】 ここをわかれば、 間違えない! アド・ヴァイス スタディオン 編集:sui studio 東京都豊島区雑司が谷3-12-3川戸ビル203 〒171-0032 info@image-garage.com |
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「美って何?」 まず、本題のテーマである『広告』に『美』が必要か否か?これも、様々意見が分かれるところなのです。 『装飾的な美しさ』、例えばカップの唐草文様やフランス料理の見た目の美しさような、主観で「きれい」とか「かっこいい」と感じる美しさに関しては、商材が美的訴求を必要とする場合大事でしょう。婦人服、食器、インテリア雑貨、観光局、宝石、腕時計、化粧品、高級ブランデーetc。これらのカタログに掲載されている写 真はどれも美しく格好良いです。 では、プリンターのインク、ウェットティッシュ、事務机、酸素ボンベ、ガソリン、金融商品、倉庫などに、同じような美的表現が必要かどうかというのは、商品の特性やターゲット層、市場と考えていけば自ずと理解出来ます。 自社の商品にはイメージが必要がないからと『美』は全く不要というのは早計です。『機能美』というものもありますが、その前に『デザイン』というものの認識について少し説明しましょう。 日本で言うデザインは、『見た目の美しさ』『見てくれの格好良さ』のような表面 的な部分としての捉え方が多いです。「この車のデザインが気に入った」「この照明スタンドはデザインがいまいちなんだよな」という風な解釈が一般 的ではないでしょうか?しかし、本当のデザインという意味は『構造設計』のようなことです。機能性・操作性・スタイルの調和という人もいます。「デザインする」というのは、スタイルのみ装飾加工をするということより、対象を有意義に構造設計していくというのが本来の使われ方です。 『構造設計』『機能美』という観点からの美しさの追求は、どの製品にも必要不可欠な物です。例えばホームページのボタンは、「ボタン」の形態を採用しているからこそ、「これを押すんだな」という解釈が働きクリックに誘導するという機能を果 たします。 この「機能性」が洗練されていなければ(ボタンやリンクの青文字が画面にひとつも無いと言う事なら)、「画面 の中にアニメや文字やムービーやメニューがゴチャゴチャ散乱していてわかりにくい。それどころか、どれをクリックして良いかわからず目的のページに行けない」という事や「画面 はすっきりレイアウトされているけど、なにも説明がなさ過ぎて、次のページの進み方がわからずに閉じてしまった」という事が起こりえます。 「機能性を追求した美しさ」を広告で考える場合、どこから読み始めて、どこを強調して、最終的に何が『伝わる』かという機能が無駄 なく洗練されているかどうかです。一般の人が作ると、この辺で失敗する人は多いです。縦組み文字と横組み文字のゴチャ混ぜ組版など論外ですし(読み手の目の流れに抵抗を与える)見出しと本文の変化の付け方も(読ませる順序)と(リズムを追った作り方)にしていないと、読み終えても印象薄く「結局何が伝えたかったの?」となります。そして、機能が崩れているダラダラとした誌面 は見た目も酷いです。見出しと本文にメリハリの変化を加え機能をしっかりさせた組版は、パッと見もピリッとした緊張感があります。 市場に出回っている広告デザインは、一見何の変哲もなさそうでも緻密な計算の上に作られています。人間の視線は、遠くを眺めるモデルの横顔を捉えた写 真を見たなら、その見つめている方向に導かれて流れます。文字にしても一気に読むのに適した一行の長さがあります。写 真のトリミングや向き、新聞、雑誌の段組、実は全て計算されたものです。仮に新聞の最上段から最下段までツラツラ連なる長い一行なら、視線どころか首を振りながら読まなければいけません。逆にホームページやメールなどは、縦書きや二段組み、三段組みはありません。いちいちスクロールバーを戻して読み返すのでは労があります。 新聞や雑誌は見出しだけ追って、書かれている概略がわかり興味をそそられるように作っています。広告はキャッチコピーからボディー、押さえのコピー、社名やフリーダイヤルへと強弱の変化のついた組立方があります。いわゆる様式美、それぞれの媒体が持つスタイルでしょうか。 こういった必要な機能のみを洗練させていくと、不要な物が削がれてシンプル イズ ベストや無印良品の世界に辿り着きます。そう、携帯電話で見ればツーカーさんの進めている方向「説明書のいらない携帯」なんてのも出ています。しかし、シンプルなんて全然味気なくて『美』じゃないじゃないか!という人もいるかもしれません。人気のインフォバーのような洒落たスタイルの携帯電話の方が確かに『美』というにはふさわしいかも知れません。 この辺で結論をちらっと明かしますと、『美』というのは未だしっかりと解明はされてなく、人によりそれぞれの捉え方をしてしまうという事です。「自然風景が好きだ」という人もいれば「工場の無機質の機械がかっこいい」という人もいて、“好き・嫌い”だけで判断すれば無限ループに陥ります。全員一致はありません。 理論的な分析から表現方法としての『美』は、ある程度多くの人間が心地よく感じる数式で解明されています。例えば、シンメトリー(鏡像)は、どこにでも有る見飽きたスタイルですが、見て非常に安心出来る物です。人や猿の右手と左手の長さが異様に違うと落ち着いて見られないでしょう。車のヘッドライトも左ライトは四角、右は丸では落ち着きません。また、黄金比や白銀比といった縦の辺と横の辺のバランスのとれた長方形の構成比も解明されていて、A4、B5など紙のサイズ、写 真のフィルムのサイズ、建築物の窓のサイズなど様々に転用されています。 パターン(繰り返し模様)に関しても、水の波紋から魚の鱗、煉瓦を積み上げた壁、タータンチェックや水玉 など、見て安心できる規則正しい構成配分が昔から採用されています。カーテンのチェック模様が全くまとまり無く不規則な格子なら見て気持ち悪くなりませんか?さらに色彩 計画も調和配色、喧嘩してしまう配色等理論で分析されています。 しかし、シンメトリー、規則正しいパターンだけなら、シンプル、機能美の解釈と同じく味気ないと言ってしまう人もいるでしょう。みんなが美しいという美人の顔は平均的な顔立ちになってしまいます。安心出来る予定調和には、アクセントとなる変化を求めてしまいます。 『美』は考え出すと難しいです。それに、時として「機能美」と「表現」は相反する場合もでてきます。アップルのコンピューターは、どれもユニークで見た目も強い印象や愛着を与える物ですが、G4キューブという透明の四角い箱のマシンは見た目の美しさとは逆に、熱がこもったり、エラーが頻発したりと使い勝手では不評でした。広告で言えば、洒落た英文字で文字を組んだ方が見た目は格好良くなります。しかし英語が公用語でない日本人に何が伝わるのか?という事になります。 このように『美』は奥が深く、見た目の美しさのみならず、「美しい精神」「美しい散り方」「美しい手法」など曖昧で抽象的な部分にまで及んでいるのです。その『美』をデザインとして捉えれば、「機能」という役割や「シンメトリー」「規則正しいパターン」などの立証された表現原則、そして人々固有の「感じ方」、こういったものを融合、厳選、調和、対比などさまざまに組み合わせて洗練させていくのです。 しかし、宣伝戦略で一番大切なのは、その『美』はその広告に本当に必要なのか?というところでは無いでしょうか?美しさにも理由が必要なのです。山の風景やアーティストの心象風景など、ターゲット層に行楽や趣味目的で受け取ってもらっては、お金が無駄 なだけと言う事です。必要な美しさが大切ということですね。
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